有田憂田。有宅憂宅。(略)無田亦憂、欲有田。無宅亦憂、欲有宅。
(田あれば田を憂う。宅あれば宅を憂う。田なければまた憂えて田あらんと欲う。宅なければまた憂えて宅あらんと欲う。)
『仏説無量寿経』の一節。
お経は、清らかな仏の国のことが書かれているばかりではない。むしろ人間の日常のドロドロとした心模様を改めて知らせてくれる。
無いときには「有ればいいのに」と思うけど、では有ったら満足かというとそうでない。有れば有ったで、無いときには味わいもしなかった様々な憂いごとができるのだと。
「田さえ有れば」と思うけど、田があれば「虫だ病気だ水がない」と憂いごとが尽きない。「家さえ有れば」と思うけど、家があれば、年月がすぎるほどに維持していく心配が増える。
結局私たちは外的要因によって満足を得るなんて不可能。少しの満足もやがて薄れて次のものを求める。だからダメだというのではない。これが事実と知ることだ。「モノ、カネ」に執着しないと生きれないのは確かだが、欲張るのはチョットでいい。本当に執着すべきは、「外的要因に依らない満足」。
タイトルは、「うでんうでん うたくうたく」と読む。読経のときはリズムよく「ウーデンウーデン ウータクウータク」と読むのだが、しかしね。
「外的要因に依らない満足」って、よく分からないんだよね。それが分かれば宗教なんか要らないってか!