最近知った仏教用語「遺偈」。禅僧が末期(まつご)に臨んで、この世に想いを残さないように、遺された弟子が困らないように記す辞世の偈頌(げじゅ)という。
偈頌(うた)なので、多くは一行四文字で四行プラスアルファ。多くの禅僧は年に一度、正月などに遺偈を推敲し直して書き換える習慣があるという。今風に言えば「終活ノート」かな。
有名な遺偈のひとつは「利休遺偈」。
人生七十 力囲希咄 吾這寶剱 祖仏共殺
(じんせいしちじゅう りきいきとつ わがこのほうけん そぶつともにころす)
堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛
(ひっさぐるわがえぐそくのひとつたち いまこのときぞてんになげうつ)
大まかな意味は、
秀吉に切腹を命じられ、私の人生は70年。
「りきいきとつ」(悟りの瞬間に出る言葉)と、修行の末に仏智の鋭き宝剣(さとり)を得た。
禅は「仏を殺し師を殺す」教え。「釈迦の言葉だ、師匠の言葉だ」と観念に捉われ、教えの本質を忘れることを戒めるのだ。
我がひっさげるその宝剣一太刀。
今このとき、その宝剣(さとり)さえ天に投げうってしまおう。
内容は難解だが、なんだかすさまじい。
自らの捉われを捨てるのが仏道なら、得た悟りさえなげうってゆくと。
私は兎年の生まれ。来年は兎年の年男。
48歳と言いたいところだが、世間では還暦というらしい。
そこで、来年兎年の元旦に、私の「遺偈」を作ってみようと思う。
もし生きていたら次の元旦を迎えるたびにに書き換えていこう。
禅僧と違って、想いを遺すことは山ほどあるだろうけれど。