免疫学者の多田富雄さん。自著『免疫の意味論』で「自己と非自己」を論じている。
ふつう私たちは「自己はどこにあるか」と問われれば、きっと「脳」と答えるに違いない。しかし、果たしてそう言い切ってしまっていいのだろうか?
「キメラ」はギリシャ神話に出てくる、ライオンとヤギとヘビが合わさった怪物。ニワトリとウズラの卵の、将来脳になる部分を入れ替えると、体はニワトリで脳はウズラの「キメラ」が生まれるという。
このキメラ、外観はニワトリのヒヨコでも、鳴き声はウズラ。しばらくは正常に大きくなるが、十数日で歩行も摂食もできなくなって、死んでしまう。ニワトリの免疫系が、ウズラの脳を「異物」と認識し、排除してしまう結果であるという。
「胸腺」という免疫をつかさどる器官が、「脳」を「非自己」として排除する。「免疫」は二つと同じものがないアイデンティティーといえる。そして精神的身体的機能一切をつかさどる「脳」も二つと同じものはない。
いったい「自己」とは…「アイデンティティ」とは…何?何?
「自己」をジェスチャーで示すとき、胸に手を当てることが多い。「胸腺」こそ「不二の自己」だと、古来から知っているかのようだ。つまり、「脳という自己」が機能しなくなっても「免疫という自己」は生きている。確かに「脳死」は自己の「死」かもしれないけど、「不二の自己」であるところの「免疫」はまだ生きている。
そのことを私たちは知っていなければならないと思う。