たまには仏教のことも書かないといけませんね。「一切皆苦」(いっさいかいく)とは文字通り「一切はみな苦」ということ。大乗とか小乗とか言われる前の、原始仏教からの教えです。
苦しい時に「つらいな」と感じるのを「苦苦」(くく)。
快適な時に「いつかこの楽も終わる」と不安に思うのを「壊苦」(えく)。
苦しくも楽でもない時に「つまらないな」と空しく思うのを「行苦」(ぎょうく)。
といいます。
つまり、苦しい時はもちろん、快適な時も普通の時も苦を免れ得ないということ。私たちの生きる事実を端的に教える言葉だと思います。
どんなに恵まれた人であっても、この事実を離れることはできません。何だか否定的に聞こえるかもしれませんが、そうではないと思います。
「事実を誤魔化さないで生きれるのは豊かなことだ」ということではないでしょうか。事実を事実として認めることができれば…、
「苦はマイナス要素だから捨てなければ」と虚勢を張る必要もない。
「自分ばかりが苦しい思いをして」と落ち込む必要も全くありません。
病気・経済・人間関係…。身体的な精神的な様々な苦しみがあります。しかし、苦しむことは決して「無駄」なことではありません。「苦」こそ人を磨き、育てるものでもあります。「苦」が肥やしとなり、それが実りを得れば、どれほど豊かなことでしょうか。「苦も無駄なことではなかった」とうなずくところに、無意味な人生は存在しません。
もし、「私は苦しんだことがない」という人がいたら、かえって「お気の毒」な人ですね。
最後に親鸞さんの和讃(うた)をご紹介します。
罪障功徳の体となる
こおりとみずのごとくにて
こおりおおきにみずおおし
さわりおおきに徳おおし
(『高僧和讃』親鸞)