京のぶぶ漬け

投稿者: | 2019年10月7日

 私の祖母は京女(きょうおんな)でした。95歳で亡くなって、そろそろ25回忌を勤めなければなりません。
 聞くところによると実家は西陣織の織元だったといいます。女学校(京女)のとき、袴をはいて庭球(テニス)をしたといいますから、当時としてはかなりハイカラさんだったのだと思います。
 どんな縁か聞いていませんが、祖父と見合いして結婚。私の父は三男ですが、五人の子のうち父までは京都で生まれました。
 祖父は京都の学校で教鞭をとっていたそうですが、急きょ叔母の寺(当寺)の後継者にならねばならず、一家でここ九州福岡に引っ越してきたといいます。
 当時の京都はすでに電車の走る大都会。東京に遷都後も京都人の気質は「みやこびと」です。
 それがひょんなことから、ロクに電気も通っていない九州のド田舎へ行くことになり、さぞ決断の要ることだったと思います。
 祖母は死ぬまで「京女」でした。テレビで「博多山笠」のニュース映像が出るたび、「おいど(おしり)出してげさくな」とつぶやくのです。そして「京都には祇園祭があって…」と、いかに京都が“みやび”なところかを強調して…。
 突然の来客にも、玄関先で「おおきにありがとうございます。お茶漬けでも…」と言っていたのを思い出します。
 「京のぶぶ漬け」は大げさな話ではありません。興味のある方は↓「ぶぶ漬け」の項目をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E8%A8%80%E8%91%89
 今思えば、本当に上がり込んで「お茶漬け」を所望した、武骨な九州人も多かったのではないかと思います。
 その祖母が一生かたくなに守りぬいたことが一つあります。それは「フグ」を絶対に食べなかったことです。魚は大の好物でしたが、「フグ」だけは口にしませんでした。はっきり理由を聞いたわけではありませんが、なぜなのかは、なんとなくわかっていました。
 「フグには毒がある」と祖母の口から聞いたことがあります。ここからは私の想像なのですが、実家の父から、急きょ九州へ行く羽目になった、かわいそうな娘への言いつけがあったのかと思います。
 「九州では毒のあるフグという魚を食べる風習があるそうだ。何があっても絶対に口にするな」と…
 秀吉以来の「河豚禁止令」は、明治21年伊藤博文によって解禁(諸説あり)。とはいっても、やはり当時の「みやこびと」にとって、九州は「毒魚」を食らう土地として映っていたのでしょうね。
 親の言いつけを頑なに守り続けたことにも感心しますが、魚好きの祖母に、美味しいフグを食べさせたかったなぁと、いまさらながらに思うのでした。

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