街頭募金に立った経験が何度かあります。子どものころカブスカウトに入っていて「歳末助け合い」のときとか、あるいは長じては、阪神淡路大震災のときなど。
阪神淡路大震災の募金の時は仲間と法衣をつけてJR小倉駅の前に立ちました。「東本願寺真宗大谷派です。皆様のご協力を!」と声をかけ続けました。
経験して初めてわかるのですが、ネクタイをしたサラリーマン風の人はお金を入れることはほとんどありません。入れてくださるのはほとんど女性・老人・子どもです。つまり経済社会というヒエラルキーにおいては裾野にあたる方たち。なぜだかは私にはわかりません。「仕事が忙しい」だけでは説明がつかないでしょうね。
びっくりして感動したのは、被災者が募金してくださったことです。ご夫婦と子どもさん二人、たくさんの荷物を持って小倉駅の前を通りかかりました。「被災して、今実家をたよって帰郷してきたところです。お役立てください」と。涙が出てきてしまいました。
無理なことはできなくても、無理でないことはできる。微力は無力ではないと思ったのでした。