蟪蛄春秋を識らず、伊蟲豈に朱陽の節を知らむや (曇鸞『無量壽經優婆提舍願生偈註』)
けいこしゅんじゅうをしらず いちゅうあにしゅようのせつをしらんや
蟪蛄(セミ)は夏だけの命なので、春と秋を知らない。季節を知らないのであるから、この虫は、どうして今が真夏であることを知りえようか。今しか知らない者は今も知らないということだ。
自分のことは自分が一番よく知っていると思っているが、では自分の顔は自分で見ることができるかというと、厳密には不可能。鏡(左右反転)や写真(2次元平面)はあくまで参考値だ。
外面どころか内面にしても同様。「自分の短所はこんなところで長さにすれば1メートルだ」と自分で言っても、他人の目からすると5メートルくらいあるだろう。他人に厳しく自分に甘く、都合の良いようにしか見ることができないのが私たちの心のしくみ。他人がいなければ自分を知ることは不可能なのだ。
夏が一番分かっているようで、結局夏のことは何もわからず、夏の間に命を終えてゆくセミ。自分のことが一番わかっているようで、ほんとはよくわかっていないのが私たち。自分の心の眼、磨くに越したことはないけれど、過信はいけません。