今日のテーマは親鸞聖人の得度。私の得度は22歳のときでした。あれからもう35年。はやいものです。
親鸞聖人が得度されたのは9歳のとき。京都の青蓮院で、陽も暮れた晩い時間に決行されたと伝えられます。ですから私たちが得度するのもその故事にならい、本山の御影堂を真っ暗にしてロウソクの火だけで式を執り行います。
史料を見ていくと、親鸞聖人が得度されたころ、京都は戦乱、大火、飢饉に大地震。大変な時代だったことがわかります。出家の動機は、おそらくは家の事情です。それしか選択の余地はなかったのでしょう。
私が住職になったのも、自分の選択に先立ってお寺があったからです。志が先にあったわけではありません。先住(父)がすでに亡くなっていて、自分の意志よりも先にそういう事情があったのです。
しかし、与えられた道だからこそ止められないということだと思います。もし自分の意志だけによる選択であれば、とっくに挫折して辞めているかもしれません。賜ったからこそ、やめられないのですね。
自分に僧侶は向いてないなぁと、今でも思います。しかし、何事も賜ったものならば大切に貫いてゆくのが責務なのだと、今さらながら思うことであります。